私の孤独

人はさびしいって思う生き物だと思うのですが


それはまたお話をする時を作るとして


私が恐れを覚える寂しさは


大勢の人の中にいて、


「だれも信じられる人が居ない時」


これがいちばんさびしく空しいときです。


もちろん、この人って思っていた人が


そうでないときの心もいたたまれませんが


隣に居る人の気持ちがわからない時って


淋しいと思いませんか?


それも、大勢いたらいただけ、不安になるのは私だけでしょうか?


それなら、一人で過ごすほうが気を使わずにいいのです。


無駄なエネルギーを費やすことのほうが嫌なんです。


誰かが言っていた


幽霊とかよりも、人の心がいちばん怖いって。


だからこそ、大事に扱っていきたい自分の心です。


(人はみんな同じものを持っている、喜怒哀楽他マイナスプラス要素まで


使い方で、人を殺すことも救ってあげることもできる。


それをコントロールできて初めて自信なのかもしれませんね)


だから、裏切らないって決めたら、コントロールすることが出来るのです。


でも、相手はそうではないかもしれない


そう思うのがさびしいのかもしれません。

この言葉が大好きです

年前の本をひっぱりだして読んでいました


そこでやっぱりこの言葉が好きっていうのを、投稿しようと思います




「 天が下のすべてのことには季節があり


すべてのわざには時がある


生まるるに時があり


死ぬるに時があり、


植えるに時があり


植えたものを抜くに時がある 」


    伝道  



「 神のなされることは


   みな


  その時にかなって美しい  」



なんて素敵な表現なんだろうと思うのです。


辛いことも苦しいことも悲しいことだって


あなたにとって、私にとっても


その時に必要で起こっているのですよ


って、意味ですよね。


優しくて、きれいな言葉です。


    (渡辺和子 著 信じる愛をもっていますか? より)

日を数えていただけのころ



明治5年(1972年)の今日、太陽暦を採用することが発評されたそうです


そして、この年の12月3日が、明治6年1月1日になりました。


それまで使われていた暦は、月の手記を基本にする太陽暦に、季節との誤差が


出ないように閏月を入れたりして、工夫を加えていたもので、正確には


太陰太陽暦といいます。飛鳥時代に中国から伝わり、江戸時代には、日本人の手で


改暦されながら、使われてきたようです。


暦の語源は「日読み(かよみ)」。「読む」は、数えると言う意味です。


すっかりデジタル化され、数字とにらめっこすような毎日になってしまいましたが


昇る太陽をひとつひとつ数えていた時代もあったのですね


「日は昇り、また沈む」。単にそれだけの繰り返しなのに


どうしてこんなに忙しくなってしまったのでしょう。