「いい」と「悪い」はいつもお隣同士

 
「 人はみな心あり、心各々執るところあり  」


              ◆ 聖徳太子 ◆



心の中の憤りをなくし、怒りを捨て、


人が自分と異なる言動をしても怒ってはならぬ。


人には皆それぞれに考えがあり、


それぞれにその考えにとらわれるがあるものだ。



と、いうことだそうですが、


聖徳太子がいいたかったのは


怒りを自分の心の中にしまいこんであきらめなしということではありません。


お互いに違った意見があるのはあたりまえなのだから


憤りや怒りで解決しようとしてもうまくいくわけがない。


その道理を知ってさえいれば、双方がもっと謙虚になれるはずだ・・・


と、おっしゃったそうです。



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憤りも怒りも抑え込むからでてくる。ごめんなさいと思ったとしても


ありがとうと思ったとしても、


その言葉を繋げて会話ができなければ、そんな前向きな気持ちも


抑え込んだ状態と同じになってしまいました。


ひとり相撲は、前には進みません。


ひととは、お互いにきちんと言葉を交わしあって、おかしかったらその場で尋ねて


そのたびそのたび、心の掃除をしていかないと、人間関係は停滞


ううん、いつしか、あきらめていくしかなくなってしまうのです。


頼るということは、信頼です。その信頼には、それまでの積み重ねがあります。


頼るっていうのは、応えてくれると思って頼るのですから


そうして、それが結果で出るたびに、頼りがいがあるとつながる。


なにも積み重ねて無い中から、信頼も思いさえも綴っていけないものだと知った。


だって、返してほしいから関わりたいから、怒りも憤りも謝罪もあいさつもある。


それが帰ってこないということは続かないということで、


本当に続けたい関係なら、なにがあったしても相手も返してくるはずだと思いませんか?


自分だったら、返したいですもの。関わりたい人には。ただ、それだけです。ね。