当たり前

当り前の奇跡



共同で収穫したり、漁や狩りをしたときの一人あたりの取り分けを、


当たり前と言ったそうです。それぞれの働きに応じて分け前は決められていました。


「当たり前」が当たり前で無かった時代があったのですね。


私たちが何もしないで受け取っているものは、何らかの恩恵だと考えた方がよさそうです


人は慣れるとすぐに当たり前を思ってしまいますが、私たちが生まれたことも


生きていることも、そして水や空気があることも奇跡です。


この奇跡の積み重ねを当たり前としか思えなくなるほど心が麻痺してしまうのは


悲しいことだと思いませんか?


当たり前の中の軌跡・・・・そのことに気付いたとき、感謝の言葉がいっぱい溢れてきます。

「 王者の星 」


昴とは星野集まりにつけられた名前で、おうし座のプレアデス星団のことです。


六個が集まっているように見えるので、六連星(ろくらぼし)という別名もあります


が、実際の星の数は、百二十個もあるそうです。


「 統ばす(すばる)」という、集まって一つになるという意味の言葉が語源です。


古くから親しまれ、「統一する」と言う意味に通じるところから、王者の星と


呼ばれました


冬の凛とした空気の中で、星を見上げると、身の引き締まるような勇気が湧いてきますね


今見えて言える昴の光は、約四百年前の光。


気の遠くなるような、遥かな時を超えて届いたメッセージを、私たちは、


無意識のうちに感じ取っているのでしょうか。

弱冠(じゃっかん)

成人式の冠



~人は生まれて十年したら、「幼」といい、学問を始める。二十年したら、


「弱」といい、冠をつける。三十年したら、「荘」といい、妻を迎える。


四十年したら「強」といい、士官する。五十年したら、「艾(かい)」といい


重要な官職つく。六十年したら、「耆(き)」といい、人を指揮する。七十年すると


「老」といい、家事をその子に伝える。八十年以上を「老毛」といい、生まれて


七年までを「棹」といい、「老毛」と「棹」のものは、罪を犯しても、刑を加えない。


百歳の人を「期」といい、ねんごろに養う~~(「礼記」)


今では実際に冠をつけることはありませんが、大人になるということは


目に見えない冠を賜り、胸を張っている姿こそ、ふさわしいのではないでしょうか


その冠には自負や責任がちりばめられています